【1999 アリゾナ・スプリングキャンプ・ インターンシップレポート】

岡部 一雄 | 1999年5月7日

東京から8時間の空の旅、まず最初に到着したのがサンフランシスコ。日曜の朝ということで心なし人が少なく、閑散とした感じがした。まだ、この土地がアメリカという実感がない。しかし、目的地のフェニックスに向かうゲートを目指し歩いているうちに店の看板、人々の発する言葉、価格などを見ているうちに徐々にアメリカに到着したことを実感してくるのがわかった。

目的地のアリゾナ州フェニックスに到着したのは午後2時頃だった。最初に到着したサンフランシスコとは違い、アメリカの田舎という感じがした。気候は湿気がなくとてもさわやかな感じをうけた。しかし、30度はゆうに超えている感じがした。しかもこの気温で春というから驚きである。夏には40度位までなるらしい。周りには、ゴルフトーナメントなどでよく目にするサボテンやごつごつしている大きな山というか岩、フリーウェイは4~5車線もある広い道路、すでにアメリカの雄大さに圧倒されているのが自分でもわかった。

空港から45分位車で走り、ピオリアでキャンプを行っているシアトルマリナーズのクラブハウスに到着した。そこで最初にで会ったのが今回私たちをいろいろな意味でサポートしてくれるヘッドトレーナーのリック・グリフィン氏であった。トレーニングルームでエアロバイクをこぎながら私たちに明るく声をかけてくれた。予想通りとても明るく、すばらしい人間であり、良いトレーナーという印象を受けた。この日は軽い挨拶で、翌日に備えホテルに帰ることになった。

キャンプは朝7時からアイシング用の氷、タオル、包帯の準備から始まります。そして7時半から8時頃になると最初の選手がクラブハウスに来て治療がスタートし、トレーニングルームのラッシュが始まる。ストレッチ、ホットパック、超音波などのWARM UPからPNF や肩の筋力トレーニング、また手術後のリハビリまで個々の選手に指示を出し、選手をグランドに送り出す準備をこなしていきます。10時からの約2時間の練習中は、選手の動きに目を光らせると同時にコミニケーションもわすれてはいません。そしてゆっくりとくつろぐ間もなく午後からのオープン戦に向け選手の治療をこなしていく。昼食はちょっとした時間を見計らってハンバーガーにかぶりつく毎日である。思ったよりメジャーリーガーたちの食事は乏しく、少食であるのに驚いた。

試合中は、ベンチで様々な選手に対する処置、ピッチャーへのアイシングなどを行う。サンフランシスコ・ジャイアンツでは守備やベースランニングをしてベンチに帰ってくる選手に対してスポーツドリンクを用意し、水分補給にも徹底している。試合後も朝と同様トレーニングルームのラッシュが始まる。アイシング、マッサージなどです。また、その日がトレーニングをする日であればトレーニングをする。また、少し疲れが残っているようであれば軽いジョギングで早めに帰るという具合に各自の体を良く理解していると同時に、これまでに良く教育されている感を受けた。そして最後の選手をトレーニングルームから送り出す5時半頃一日の仕事が終了する。これがトレーナーの仕事の流れである。

次のサンディエゴ・パドレスでは、主にPNF、アイシング、テーピング、マッサージ、超音波などを行っていた。ヘッドトレーナーのハッチに山本氏が「トレーナーとして一番大切なものは何だ」と聞いたところ「コミニケーション」だと答えたのがとても印象的であった。

シカゴ・カブスで最初に目に映ったのは、昨年マグワイヤとホームラン競争を演じたサミー・ソーサであった。身長は思ったほど大きくはなかったが、体の厚みがすごく迫力を感じた。トレーニングルームは、よく整えられ、組織化されている印象を受けた。また、チームはとてもアットホームであり、トレーナーと選手の距離も近く個人的には気に入ったチームである。

最後のサンフランシスコ・ジャイアンツは、伝統のあるチームということもあり、緊迫したムードをもっている。ヘッドトレーナーと2人のアシスタント・トレーナーがいるが、ヘッドトレーナーは指示を出す役目、2人が選手を治療するという感じである(もちろんヘッドトレーナーも治療するが)。その他にも、カイロプラクターや専属ドクターや様々な関係者が決められた日に来て、トレーナーと協力し合っているところはとても勉強になった。

アリゾナでのインターンシップトレーナーの経験は、トレーナー業としてだけではなく、日米のスポーツ、日本語と英語などを比較することができたことも大きな収穫だった気がする。また、今の自分の考え方が片寄ったものになっていないかどうか確認することができたこと、スポーツにおいて発展途上の日本だが、その中にも良い部分を発見することができました。我々は日本に対して誇りをもっていく必要があり、もっと日本を好きになって欲しいと実感した。この経験を生かし、スポーツに貢献できたらと考えます。

最後にこの機会をくださったJBATSの川島代表、またPBATS方々にはお世話になり、心からお礼を申し上げたいと思います。